主演:ジョン・ウェイン

映画「勇気ある追跡」で主人公のコグバーンを演じたジョン・ウェインはアメリカの俳優です。自身自ら映画をプロデュースしたり、監督もしていました。「デューク」という愛称で親しまれたアメリカを代表する名優で、「勇気ある追跡」で演じたアイパッチの老保安官の役は、彼の代表的なキャラクターとなりました。アカデミー主演男優賞を受賞している実力派俳優です。

ジョン・ウェインの生涯

1907年5月26日、アメリカ合衆国アイオワ州ウィンターセットに生まれ、マリオン・ロバート・モリソンと命名されました。実家は薬屋でした。弟が生まれた時、両親が弟に「ロバート」と名付けることを決め、彼自身の名前はマリオン・マイケル・モリソンに変更されました。一家は911年にカリフォルニア州グレンデールに転居します。マリオンはどこへ行くにもエアデール・テリアの「リトル・デューク」を連れていたため、隣人が「ビッグ・デューク」というあだ名で呼び始めます。以降ずっと彼は愛称の「デューク」の方を本名の「マリオン」より好んで使っていたそうです。高校卒業後、海軍兵学校へ出願しますが入学できず、南カリフォルニア大学に入学します。そこで彼は伝説のコーチ、ハワード・ジョーンズの下でフットボールに取り組みますが、水泳中にケガを負ってしまい、選手生命が絶たれてしまいました。

俳優の道へ

大学在学中にウェインは田舎の映画スタジオで働き始めます。西部劇のスター、トム・ミックスはフットボールのチケットと交換に、夏の間大道具係の仕事を彼に世話してやりました。1982年、大道具係だったウェインは映画の端役に抜擢され、俳優の道を歩み始めます。1930年には彼の最初のクレジット入り映画であるラオール・ウォルシュ監督の超大作「ビッグ・トレイル」に主役として出演しました。ジョン・ウェインという芸名は、この作品に出演した際にウォルシュ監督が与えたものでした。アメリカ独立戦争での将軍“マッド・アンソニー”・ウェインから取っりました。当初は「アンソニー・ウェイン」という芸名にする予定だったのですが、イタリア風に聞こえるという指摘があったことから、アメリカ風の名前である「ジョン」に改められたのでした。「ビッグ・トレイル」は商業的に失敗し、ウェインは「駅馬車」がヒットするまでの間、B級活劇専門俳優として長い不遇の時代を過ごしました。しかしその間に、射撃、乗馬、格闘技などを修得し、後の俳優活動に役立てています。不遇時代に主演した映画には「歌うカウボーイ、シンギング・サンディシリーズ」などというものもあり、馬にのりながら歌うシーンが現在でも残っています。

人気俳優へ

1939年、早く時代から友情を深めていたジョン・フォード監督の「駅馬車」に主演します。この映画は大ヒットし、やがてウェインはヘンリー・フォンダと並んでフォード作品の看板役者となります。その後も多くの作品を生み出し、いくつかはウェインの代表作となりました。続く35年間で「アパッチ砦」、「黄色いリボン」、「リオ・グランデの砦」、「静かなる男」、「捜索者」、「荒鷲の翼」、「リバティ・バランスを射った男」など、フォード監督作品に20作以上出演しました。彼は多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されていましたが、現実には兵役には就きませんでした。1940年に徴兵が復活し、1945年に第二次世界大戦が終了するまで彼はハリウッドに残って21作の映画に出演しました。1941年の真珠湾攻撃当時、彼は34歳で徴兵の該当年齢だったのですが、徴兵猶予を申請して受理されました。ウェインは西部劇や戦争映画に、俳優としての信念をかけていたため、強く英雄的な役割りを多く演じ、逞しく深みのあるヒーロー像を築いて行きました。生涯出演した154本もの映画のうち、西部劇は半分近い79本を占めています。その一方で、コメディ映画やNBCのコメディ「ラフ・イン」にピンクのウサギの着ぐるみで出演するなど、ユーモアの感覚も持ち合わせていました。

アカデミー賞

1948年のハワード・ホークス監督の作品「赤い河」が大ヒットしたことにより、ウェインは翌年初めてボックス・オフィス・スターの4位にランクインし、名実ともにスターの座を獲得しました。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けました。一方で自他ともに認める愛国主義者である彼は、リベラル思考の観客からは典型的なタカ派俳優として非難の対象にもなり、特にベトナム戦争が泥沼化した一時期には人気をおとしました。しかし彼はそれに対抗するように製作・監督・主演兼任で映画「グリーン・ベレー」を完成させ、ベトナムで特殊作戦に従事するアメリカ兵を描きました。多くの作品に出演していたウェインですが、ショーレースには縁がなく、「硫黄島の砂」で主演男優賞、監督した「アラモ」で最優秀作品賞と2度のアカデミー賞ノミネートを受けますがどちらも受賞を逃しています。さらに1964年には肺がんを宣告され、片肺を切除する大手術をうけました。しかし、その後も闘病しながら俳優活動を続け、1969年の「勇気ある追跡」で遂に念願のアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞したのです。オスカーを手にしたウェインは人気を取り戻し、精力的に活動しました。

最期

1979年6月11日、ジョン・ウェインは胃がんの悪化でその生涯に幕を下ろしました。1976年に公開された「ラスト・シューティスト」が遺作となりました。72歳の誕生日を迎えてからわずか17日目のことでした。遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬されました。彼の死は日本でも大きく取り上げられ、毎日新聞には「ミスター・アメリカ死す」との見出しが出ました。また、アメリカの各地では半旗が掲げ良得ました。ウェインの入院中には当時アメリカ大統領だったジミー・カーターが見舞いに訪れており、現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことでした。葬儀に際し、次期アメリカ大統領となったハリウッド俳優出身のロナルド・レーガンは、「実生活でも卓越した巨人だった。体躯、態度、信念に不屈の強さを感じた。思いやりのある誠実な人柄は、利己的なハリウッドではめったにお目にかかれぬ存在だ」と語りました。

主な出演作

  • 1930年「ビッグ・トレイル」・・・ブレック・コールマン役
  • 1933年「紅唇罪あり」・・・ジミー・マッコイJr役
  • 1934年「アリゾナの空の下で」・・・クリス・モレル役
  • 1935年「夜明けの男」・・・ジョン・メイソン役
  • 1939年「駅馬車」・・・リンゴ・キッド役
  • 1939年「アリゲニー高原の暴動」・・・ジム・スミス役
  • 1940年「果てなき航路」・・・オーレ・オルセン役
  • 1940年「妖花」・・・ダン・ブレッド役
  • 1942年「絶海の嵐」・・・ジャック・スチュワート役
  • 1942年「スポイラース」・・・ロイ役
  • 1942年「西部の顔役」・・・トム・クレイグ役
  • 1942年「フライング・タイガー」・・・ジム・ゴードン役
  • 1944年「拳銃の町」・・・ロックリン役(兼製作)
  • 1945年「バターンを奪回せよ」・・・ジョセフ・マッデン役
  • 1945年「コレヒドール戦記」・・・ラスティ・ライアン役
  • 1947年「拳銃無宿」・・・クワート・エヴァンス役(兼製作)
  • 1948年「アパッチ砦」・・・カービー・ヨーク大尉役
  • 1948年「赤い河」・・・トーマス・ダンソン役
  • 1948年「三人の名付親」・・・ボブ・ハイタワー役
  • 1949年「黄色いリボン」・・・ネイサン・ブリトルス役
  • 1949年「硫黄島の砂」・・・ジョン・M・ストライカー役(アカデミー主演男優賞ノミネート)
  • 1950年「リオ・グランデの砦」・・・カービィ・ヨーク少佐役
  • 1952年「静かなる男」・・・ショーン・ソーントン役
  • 1953年「ホンドー」・・・ホンドー・レイン役
  • 1955年「征服者」・・・テムジン役
  • 1956年「捜索者」・・・イーサン・エドワーズ役
  • 1959年「リオ・ブラボー」・・・ジョン・T・チャンス役
  • 1960年「アラモ」・・・デイビー・クロケット役(兼監督・製作)
  • 1961年「コマンチェロ」・・・ジャック・カッター役(兼監督)
  • 1962年「リバティ・バランスを射った男」・・・トム役
  • 1962年「史上最大の作戦」・・・ベンジャミン・バンダーボルト中佐役
  • 1962年「西部開拓史」・・・ウィリアム・シャーマン将軍役
  • 1965年「偉大な生涯の物語」・・・処刑部隊百人隊隊長役
  • 1965年「危険な道」・・・ロックウェル・トリー大佐役
  • 1965年「エルダー兄弟」・・・ジョン・エルダー役
  • 1968年「グリーンベレー」・・・カービー役(兼監督)
  • 1969年「勇気ある追跡」・・・ルースター・コグバーン(アカデミー主演男優賞受賞)
  • 1969年「大いなる男たち」・・・ジョン・ヘンリー・トーマス役
  • 1970年「チザム」・・・ジョン・チザム役
  • 1972年「11人のカウボーイ」・・・アル・アンデルセン役
  • 1973年「大列車強盗」・・・レイン役
  • 1974年「マックQ」・・・ロン・マックQ警部補役
  • 1975年「オレゴン魂」・・・ルーベン・J・“ルースター”・コグバーン役
  • 1976年「ラスト・シューテスト」・・・J・B・ブックス役
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